入社して2年目の冬。
私は開発チーム付きのインフラエンジニアとして、netscape Application Serverを軸としたWebアプリケーションのインフラ設計、運用設計を行っていた。そんな冬の、まもなく新春を迎えようとしていたある日。
S事業部の事業部長が交代するというニュースが飛び込んできた。部内の情報筋によれば、派閥抗争の末の政変だったそうだ。
もともと派閥に興味がなかった自分には、さほど関心のない話だった。
しかし、続けて伝えられた情報に私は自分の耳を疑ってしまった。
驚くべきことに、私は敗れた派閥の一員であり、排斥は免れられないだろうと知らされたのだ。
1ヶ月もしない内にに通達された人事の内容は、大方の予想通りだった。
敗れた派閥のメンバーはS事業部から一掃され、私もその対象だった。
一枚岩よろしくいきいきと働いているように見えたS事業部も、上層部では大人たちの肚を見せない権力争いがあったのだ。
私は言いようのない脱力感に打ちのめされてしまった。
新しく下された辞令もまた私にとっては無情なもので、転属先はあの忌むべきK事業部だった。
そちらの部長に乞われての配置と言い添えられたが、とてもそれを信じるような気分にはなれなかった。
正直なところ、しばらくの間は失望感に嘆いていた記憶がある。
しかし、これもまた会社人の宿命であると己を納得させ、転属初日までには気持ちを一から作り直した。
そうして迎えた転属の初日、埃の積もったビー玉のような目をした男がやってきて、私の新しい上司だと告げた。
そして、続けざまに伝えたのだ。
「今日からお前、プロジェクトマネージャーな。」
プロジェクトマネージャー。
S事業部時代、自分がプロジェクトマネージャーになるのはまだまだ数年先だと思っていた。
実際、S事業部では最も若いプロジェクトマネージャーでも26歳だったからだ。
当時の私は24歳だった。
私にそんな役割が務まるか。具体的な方法論など教わっていないし、そのための研修カリキュラムも用意されていないようだった。
その日の夕方。
同じ課の先輩にあたる男が、不気味な笑みを浮かべながらなにかとても面白いことのように、耳打ちで教えてくれた。
「お前が引き継いだプロジェクトだけどさ・・・、これまで歴代のPM、6人全員が会社を辞めてるんだぜ」
私がその会社を去るまでの、カウントダウンがゆっくりと始まった。